方丈记について

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方丈



『方丈記』(ほうじょうき)は、鴨長明(かものちょうめい、かものながあきら)によって書かれた中世文学の代表的な随筆。

鴨長明が晩年、日野山に方丈(一丈四方)の庵を結んだことから「方丈記」と名づけた。鎌倉時代、1212年(建暦2年)に記されたとされるが、原本は残っていないと見られる。現存する最古の写本は大福光寺本であり、しばしば研究の底本とされる。漢字と片仮名、もしくは漢字と平仮名の混ざった和漢混淆文で書かれたものとしては、最初の優れた文芸作品である。また、乱世をいかに生きるかという自伝的な人生論でもある。 吉田兼好の『徒然草』が書かれたのは、この後およそ100年後である。清少納言の『枕草子』とあわせて日本三大随筆とも呼ばれる。また、隠棲文学の祖ともされる。(慶滋保胤の『池亭記』を祖とする説もあり)

鴨長明無常観の文学と言われる。冒頭で移り行くもののはかなさを語った後、同時代または過去の災厄についての記述が続き、後半には自らの草庵での生活が語られる。さらに末尾では草庵の生活に愛着を抱くことさえも悟りへの妨げとして否定する

文体

明快で、流麗。詠嘆表現や対句表現を多用する。和漢混交文。

【方丈記について】

作者の鴨長明は、鎌倉時代の歌人・文人。本来は「かものながあきら」と読むのが正しい。法名蓮胤(れんいん)。賀茂神社の神官の子に生まれ、中原有安から琵琶をならい、俊恵法師に和歌を学んで、若いころから両道にすぐれた才能を発揮した。宮廷歌人としても活躍したが、父の死後、同族間の跡目争いにやぶれたことをきっかけに、出家遁世した。

出家の後、洛南日野の方丈の庵で書かれた『方丈記』は、日本三大随筆のひとつとされ、仏教文学、隠者文学として名高い。長明57歳のときに成立したとされ、前半は、中世的な無常観をもって、長明が直接体験した五大災害(安元の大火・治承の辻風・福原遷都・養和の飢饉・元暦の大地震)を描写、この世の無常とはかなさを実証している。

後半は、まず自身の家系、住環境について述べ、続いて、出家遁世して住んだ大原山のこと、日野に移り方丈の庵を築いてからの閑寂な生活を、仏道への心の傾斜を見せつつ描いている。

『枕草子』や『徒然草』のように分段形式はとらず、一貫して流れる筋を一気呵成に展開させているのが特色。

【ゆく河の流れ】

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(めし)なし。世の中にある人と、栖(すみか)とまたかくのごとし。

たましきの都のうちに、棟を並べ、甍(いらか)を争へる、高き、いやしき、人の住ひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ねれば、昔ありし家は稀(まれ)なり。或は去年(こぞ)焼けて、今年作れり。或は大家(おほいへ)亡びて小家(こいへ)となる。住む人もこれに同じ。所も変らず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中(うち)に、わづかにひとりふたりなり。(あした)に死に、夕(ゆふべ)に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。

知らず、生れ死ぬる人、何方(いずかた)より来たりて、何方へか去る。また知らず、仮の宿り、誰()が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その主と栖と、無常を争ふさま、いはばあさがほの露に異ならず。或は露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。或は花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕を待つ事なし。

(現代語訳)

ゆく川の流れは絶えることがなく、しかもその水は前に見たもとの水ではない。淀みに浮かぶ泡は、一方で消えたかと思うと一方で浮かび出て、いつまでも同じ形でいる例はない。世の中に存在する人と、その住みかもまた同じだ。

玉を敷きつめたような都の中で、棟を並べ、屋根の高さを競っている、身分の高い人や低い人の住まいは、時代を経てもなくならないもののようだが、これはほんとうかと調べてみると、昔からあったままの家はむしろ稀だ。あるものは去年焼けて今年作ったものだ。またあるものは大きな家が衰えて、小さな家となっている。住む人もこれと同じだ。場所も変らず住む人も多いけれど、昔会った人は、二、三十人の中にわずかに一人か二人だ。朝にどこかでだれかが死ぬかと思えば、夕方にはどこかでだれかが生まれるというこの世のすがたは、ちょうど水の泡とよく似ている。

私にはわからない、いったい生まれ、死ぬ人は、どこからこの世に来て、どこへ去っていくのか。またわからないのが、一時の仮の宿に過ぎない家を、だれのために苦労して造り、何のために目先を楽しませて飾るのか。その主人と住まいとが、無常の運命を争っているかのように滅びていくさまは、いわば朝顔の花と、その花につく露との関係と変わらない。あるときは露が落ちてしまっても花は咲き残る。残るといっても朝日のころには枯れてしまう。あるときは花が先にしぼんで露はなお消えないでいる。消えないといっても夕方を待つことはない。




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