社会言语学

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言语,社会

4.コード切り替え

4.1状況のコード切り替え 小さな町の雑貨屋の前で、数人の近所の人が世間話をしていたとする。そこへ見知らぬよそ者が現われると、その場の雰囲気は、いくらか堅苦しいものに変わる。道を尋ねられれば、それまでは方言で話していたとしても、標準語で答えるであろう。同様に、ふだん友達同士で気楽に俗語まじりで話している学生も、就職試験となれば、あらたまった言葉遣いで試験官の質問に答えるであろう。 このように、状況や話題に応じて言語変種を切り替えることを、状況のコード切り替えという。

4.2比喩的コード切り替え

Blom and Gumperz1972は、ボークモールBokmalというノルウェーの標準語とラナモールRanamalという土地の方言の二言語変種使用が見られる、ヘムネスベルゲットHemnesbergetという町の役場で言語調査を行なった。この調査では、職員と住民が、公務に関しては標準語を話し、公務以外では土地の方言を話していることが観察された。しかし、同時に、状況や話題が同じであっても話者の気持ちに何らかの変化が生じると、標準語から方言へ、あるいは方言から標準語へと、言語が切り替えられることも観察された。

後者のように、話者が自分の気持ちを伝えるために言語形式を切り替えることを、比喩的コード切り替えという。

実際、親近感や仲間意識を伝えるために、方言に切り替えたり、信頼感を得るために、標準語に切り替えたりすることは、私たちのまわりでもよく見られる。例えば、田辺聖子の『苺をつぶしながら――新・私的生活』(講談社文庫,1985:135-6)という小説には、つぎのような電話の会話が出てくる。

「日曜に仕事するっているけど、タオクはまた、日曜も平日もなしにお酒のんでるんやないの。

「酒飲むのも仕事のうちです。 「へえ、東京ではそうですか。

「いやァ東京はオモロイ。大阪とは全然、ちゃう。やっぱり大阪なんか田舎やな、オレつくづくそう思うわ。何かにつけて大阪は田舎や。古いし、世間は遅れてる。 「へー。じゃなぜ、田舎のコトバでしゃべるのよ。大阪弁でしゃべるのやめて。 「しちゃったらさ、とか、面白くねえ、とか東京弁でしゃべればどやのん」と私が怒ってみせるのは剛へのサービス。

おとこは大阪をばかにしながらも、親近感を伝えるためには、大阪弁に切り替えている。大阪弁でなければ感情は表現できない、と言わんばかりである。このようなコード切り替えは、私たちのまわりでもよく起こる。標準語で授業をしていたはずの教師が、熱がこもってきて、いつのまにか方言で話していたりする。講演者が聴衆の心に訴えようとして、意識的に方言に切り替えるということもある。それに、素直な自分を伝えるために、方言を使う場合もある。例えば、

「もう駄目だべなぁ。もう駄目。 「ごめん。

「違う。違うの。私が悪いの。 「灯里は何も…」

「嫌なの。嫌なの。私こうじゃないの。こういうんじゃない。諒さんが知ってる私と違うの。あんたが思ってるんのと違う。諒さん、私が…何も気にばしてないと思ってた?何


も知らないで寝てると思ってた?聞いたことばない?男が外で他の女ば抱いてる間、女はちゃんと起きてるの。ごみ箱のレシートば、メールば見たり洗濯物のにおいば嗅いだりしてる。女は何も聞かね。香水の匂いばつけた男に近所の奥さんの話ばする。靴下の裏さ髪の毛ばつけた男に子供の学校の話ばする。男ば嫌がんの分かってる。でも、女はやめらんね。そっだな女、やだ。だから、私はずっと我慢してた。見ないようにしてた。でも、違うの。ホントはずっと。ホントはずっと。あんたが外で、他の女ば抱いてる間、あんたが他の女の脚ば開いてんの、思い浮かべて、あんたの腰さ、女の手ば回んの思い浮かべて、悔しくて、恨んでた。ののしてった。お願いだから、お願いだから、もう許してって、泣いてた。お母さんみたく。

--2013年ドラマ『最高の離婚』



日本語方言圏 4.3会話のコード切り替え

私たちは、状況や話題に変化がなくても、コードを切り替える場合がある。例えば、外国語の能力が高い人どうしでは、外国語を会話の中に混じえながら話すことがある。例えば、

「あした、どこで会うの?」 「駅の前はどう?」 「OK!」 一つの文中で、言語変種が切り替えられることもあるし、文の切れ目で切り替えられる場合もある。このような切り替えを会話のコード切り替えという。 このコード切り替えは、仲間意識の確認という意味でも行われるが、単に外国語のほうが話しやすいという理由で行われる場合もある。例えば、 ①日本語学習者たちの対話(仲間意識の確認) “你下课去哪儿?”


図書館。

②中国人の大学卒業生たちの対話(外国語のほうが話しやすい) “最近工作找得怎么样?” “已经收到几个offer了。

注:offer,全称是offer letter,汉语解释为录用信、录取通知。所谓offer letter,还没一个统一的名字,有人称之为录取通知,有人谓之录用信,也有人称为要约函。以前一般是说外企或国外学校发的表达自己愿意录用的一封格式类似的信件,后来很多人都把自己接到公司的offer letter,电话通知等一类的叫offer,被公司通知面试合格能够录用就说收到offer,而真正发offer letter的也只是很正规的大企业。此外,也有人说offer录取通知书加全额奖学金

それに、世界中の多くの人々は、複数の言語が入り混じる生活環境の中で、日常生活を行っている。こうした生活環境においては、単一言語を使うよりも、むしろ二言語あるいは多言語を使うことの方が普通である。各状況によって適切な言語コードを選び、時によって、あるコードから別のコードに切り替えたり、コードを入り混じらせたりすることもある。

西村美和(2000pp15-23)はトロントに在住する日系二世に見られる日本語と英語のコード切り替えを分析した。日系二世の中にはタイプが二つある。ずっとカナダに残った二世と、日本の文化や日本語を忘れてほしくないという一世の意向で日本へ帰って、戦後またカナダに戻ってきた人々である。そういう人たちは帰加二世と呼ぶ。アメリカでは帰米という。その二世たちの英語は訛りが強く、それほど上手ではない。二世同士の会話では、日本語も英語も使う。ところが、日本から来た英語ができる日本人と話す時には、完全に日本語になる。次は二世同士の会話の例である。

B.C.に行く時、飛行機で行こうと思ってから、I bought it,eh?So,its no finished yet.And its hard,cause meなんか、もう、本なんか読むと、cover-to-cover読まなかったら、if I stopつかで、I forget the story.One week later読むでしょう?I gotta go back.

おわりに

参考文献:

大野晋、柴田武『岩波講座日本語2 言語生活』岩波書店 1977

金艶華 「在日コリアンの各世代のコード切り替えの差異について」モンゴル・中央アジア研究分野415研究室 2012

西村美和 「コードスイッチング:日系カナダ人と日系ブラジル人を比較して」『バイリンガリズム――日本と世界の連携を求めて』国立国語研究所 2000 真田信治著,胡士云等译 《日本社会语言学》中国书籍出版社 1996


本文来源:https://www.dywdw.cn/55b0ed19aaea998fcc220ea2.html

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