円通禅寺

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禅寺

円通禅寺



円通禅寺は全国においても大切なお寺として認可されたのです。昆明市の重点文化財です。雲南省仏教協会もここにあります。1956年にこの寺で釈迦様の舎利を迎えたり、見送ったりしたことがありますから、東南アジアでも名を馳せています。

円通禅寺は大雄宝殿、八角亭、弥勒殿及び入り口の鳥居みたいな「牌坊」などからなっています。宝殿の前に放生池があり、池を回る回廊が配置されたからユニークに見えます。宝殿の中に元代に作った仏像と明代に作った二匹の竜があります。宝殿の後ろに1990に建てられた銅仏殿があり、中にはタイから贈呈された釈迦の銅像が供えてあります。れは小乗仏教の仏像です。

では、円通禅寺の歴史を一応紹介しましょう。唐の時代に、雲南省には大理を中心とした南詔国という小さな地方政権がありました。その国は765年ごろに今日の円通禅寺のところに補陀羅寺を建てられました。「補陀羅」は梵語の音訳で、普陀とも訳されていて、「光明」の意味です。インドでは山の名前で、観音様の道場です。補陀羅寺はつまり中国での観音様の普陀寺です。お寺の後ろの絶壁の本に、観音様に不可欠な潮音洞があります。元の時代にこのお寺を建て直してから、円通寺と改称されました。円通は観音様32の化身の一つの名前ですから、円通寺はやはり観音寺で、後ろの山も因んで円通山と名付けられたのです。円通寺はいままで1200年あまりの歴史を持っていますから。

観音様を印とする大乗仏教が雲南省に伝えられてきたのは南詔時代のはじめです。南詔国のはじめての国王はインドから坊主に説教されて悟りを開いて国を建てたそうです。れで、雲南省ではその時代のお寺は殆ど観音様を供えていました。残念なことには、この補陀羅寺は元のはじめフビライが雲南に攻め込んだ時に壊されてしまいました。今の円通禅寺は1319年に立て直されたのです。そして清代に修理を施したことがあります。 これは呉三桂によって建てられた「円通勝境」と書いてある牌坊です。上の浮き彫りは道教の仙人たちです。道教の仙人たちが仏教のお寺の中にもいるというのは中国では宗教の融合したことからです。

これは弥勒殿です。弥勒仏はそもそも釈迦様の後継者として認められました。昔、だいたい宋の時代以前には、お寺に供えられていた縦三世仏(燃灯仏、釈迦様、弥勒仏)でした。五代の時に農民一揆は弥勒仏の絵を描いてある旗を挙げ、反乱を起こしました。それが弾圧されてから、弥勒仏の地位はそれほど芳しくないと思われた嫌いがありそうで、


寺の主殿から移されたようになりました。後ろは韋駄天です。彼は南天王の部下で、いつも西、南、東を巡察しています。

これは呉三桂によって建てられた八角亭です。中に供えられたのは観音様です。さっき申し上げたように、円通禅寺の本尊は観音様ですね。それは元代に立て直された時に、尊を如来仏に変えたのですから。

これからは円通宝殿です。今は文化財保護のためか、平日は入ってはいけません。そこには釈迦様の三つの化身が供えてあります。左は応身仏〈釈迦仏〉(世間の変化に応じて現れた体です)真ん中は法身仏〈ビル遮那仏〉(本体)右は報身仏〈櫨舎那仏〉(修行によって仏果を得た体です。

宝殿に竜が作られてあるのはこの寺しか見られないのです。伝説によりますと、後ろの絶壁の下にある潮音洞は竜の穴でした。二匹いるからいつも喧嘩しあい、その場合になると洪水を起こしていた。被害を受けた庶民たちの苦を察した仏様は竜を捕まえてこの柱に打ち込んでいて説法を聞かせるようにしました。


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