日本语の歴史

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日本语

『日本語の歴史』まとめと感想

山口仲美の『日本語の歴史』を読んで、下記の四方面から纏めました。 . 文字表記

日本語の文字表記は約4世紀頃中国の漢字が伝われてきたから始まった。しかし、元々中国語と日本語は言語的にも異なり、構文も異なるところが多いから、日本人は漢字の使い方にいろいろ工夫した。

特徴:漢字に日本語の発音を与える。 問題点:①読み方が多すぎ、読んで意味がわかるが、声に出して読めない。 ②日本語の助詞、動詞、敬語表現、日固有の物事やに該当する漢がないので、表せない。

式和文をよく化吸収するため、間に助詞・助動詞、



活用語尾、振り仮名どを加える必がある。「オコト点」



も使っていたが、りがある。そこで、葉仮名の字形



「カタカナ」が発生した。

葉仮名で文章く大変な労力省いて、日本人は漢の字形を少しして、草体化した。字との区別をきりさせるたに、草仮名をさらに崩して、ひらがなが誕生した。









日本語の語順で書く所が多くなり、漢字は訓読みであるが、右寄席にカタカナが小さく書いてある。鎌倉・室町時代になるとカタカナの部分もほとんど漢字た。

ひらがなは元々女性が日記や和歌に使っていたので、「女手」とも呼ばれる。女性と手紙のやり取りをするうちに男性も使えるようになった。しかし、漢字カタカナ交り文と比べると、みにくい、論理性に弱いなどの弱点があるから、ひらがな文は日本語の代表にならなかった。

字をただの表文字として使う。 問題点:①画数が多すぎ、効率が低い。 一音に対する字が沢山あること。







漢字かな交じり文は異種類の文字で構成に、語の切れ目を入れなくても、一目瞭然。さらに句読点を併用すれば、分かりやすい。

問題点:①漢字が音読みと訓読みなどの原因で、一字に多くの読み方がある。 ②同じ発音に当たる漢字が多すぎる。











. 発音

日本語の発音は奈良時代から現在まで大きく変わってきた。本書には主に清音と濁音の変化について紹介してくれたが、拗音・促音・撥音についても含めてまとめたいが、いろいろ調べてもあまり詳しくないようである。

清音

六一音 現代より、乙、、ひ、へ、み、め、も、よヤ行のえ[je]とワ行のゐ[wi][we]、を[wo]17音多い。 四七音

ワ行のゐ[wi]、ゑ[we]、を[wo]3多い 四四音 現代と同じ



奈良時代

平安時代 江戸時代

二七音

現代より、、び、べ7音と、「じ」と「ぢ」「ず」と「づ」が違う発音としての2音、9音多い。 二十音

「じ」と「ぢ」「ず」と「づ」まだ統一されていない。 十八音 現代と同じ



濁音 促音と撥音

と撥音は、鎌倉士に好まれ、用される。


. 文法

来学期から日本語の文法を詳しく勉強することになっているが、ここで本書に及んだ係り結び、敬語表現、文末表現などについてまとめたいと思う。

1、 係り結び(平安時代の文法は鎌倉・室町時代に変化した)



ぞ―連体形

使い方

指示しによる強調

中文:正是……

衰える 原因

なむ―連体形 念を押しつつ強調

中文:再三确认

こそ―已然形 取り立てて強調

中文:……才是

調い、力強い口調を出すための慣用表現になった。室町時代に話し言姿し、係り結びの形も崩れてきた。

鎌倉時代初期「なん」

に変わり、話し言葉に①鎌倉・室町時代に連体形が終止形まだ残るが、文に使うと同じような機能を持ち始めたかことが少なくなりつつらである。

あり、漸く鎌倉時代の 「が」などの格助詞が発達にな終わりに消滅した。 り、日本語は情緒的な構造から強調表現であるけど、論理的な文へ変化してきたた「こそ候へ」という一め、係り結びが不適当になった種の慣用句的な言い回からである。 しになり、江戸時代の前半まで生き残った。 「や」を疑問表現に、「か」を反語表現に役割分担させ、室町時代に消滅した。

や―連体形 文全体の内容を疑平安時代勢力強い 問する(反語の語

気がより弱い)

か―連体形 文の一点を疑問す奈良時代優勢 る(反語の語気が

強い)

2、 敬語の滴および文末表現

平安時代、天皇は自分に敬語を使っていた。現代の相対敬語に対する絶対敬語という。 江戸時代、「いらっしゃる」「おっしゃる」「くださる」「なさる」などの敬語表現は話し言葉として、現在とほぼ同じく使われている。 「ます」(江戸初期)「ございます」(江戸後期)「です」(江戸後期)などの丁寧表現も江戸から現れた。 「である」(教養層に用いられ、公的な性質を持つ話し言葉)「だ」(今と同じように、関東では「だ」、上方では「じゃ」を使う傾向がある)敬意のない文末表現は江戸時代に活躍し始めた。

3、 江戸時代の第一、二人称代名詞



第一人称代名詞

あなた、おまえ

使い方

江戸前期に出現した「おまえ」も、江戸後期に現れた「おまえ」も現在と違って、とても敬意が高い。

元々は手紙などで使った敬意ある書き言葉である。話し言葉に転用され、江戸前期は尊敬語であったが、後期になると、同等或いはそれ以下の者に使われ、さらに明治時代の中頃には相手を罵る言葉になった。

鎌倉・室町時代に出現した「わたくし」から生まれた。室町時代の終わり頃から相手に高い敬意を表す第一人称代名

貴様

第二人称代名詞

わたし、わし


詞になり、今に至った。

鎌倉・室町時代以後に出現した「おれ」は、江戸前期になると、広い範囲で頻用され、女性も使っていた。しかし、江戸後期では、男性専用語となり、現在と同様に敬意のない言葉になった。

江戸末期に出現し、書き言葉で、「学者言葉」として知られた。明治時代以後になってから、今と同じく、自分を卑下して呼ぶときに使う話し言葉になった。

おれ





. 話し言葉の統一と言文一致 1、話し言葉の統一

目的

現状

提案

多くの知識人たちは江戸語を踏襲した東京語を日本の共通語にするのがいいと考えた。

結果

大正二年(1913年)、国語調査委員会は『口語法』を公にし、東京で教育ある人々の間で使われる話し言葉を標準とすることにした。

江戸時代には、領民は領地に縛られ、移動が許されなかっ

明治政府は教育

たので、話しはその領内しか

発展し、近代的な統一

通じない。異なる領地の者同

国家をつくりあげる。

士のコミュニケ―ションができない。

2、言文一致 ①現状と原因

現状

幕末に、文章は漢字と漢字かな交じり文の二種類ある。文の決まりは日常会話と大きく離れ、漢語や漢文訓読み語、また平安時代の雅語を使った。

原因

書き言葉は目に見える形で残るので、伝統を保持していくことが容易である。それに対して、話し言葉は使っているうちにどんどんと変化していく性質なので、書き言葉と話し言葉との距離が離れてしまった。 第二段階 ①二葉亭四迷

②山田美妙と嵯峨の屋おむろ ①三遊亭円朝の落語を真似て、「だ」調で『浮雲』を書いた。 言文一致体でロシア文学を翻訳する。

②「です」と「であります」を試みた。

雅俗折衷体、雅文体次々に登場、文語文の復活、漢字かな交じり文で書かれ、平易な俗語や日常によく使う漢語も自由に取り込む「普通文」の台頭で、言文一致運動がふたたび挫折した。

第三段階 尾崎紅葉

文末に「である」調を使って言文一致運動の停滞を打ち破り、受けられた。

②言文一致運動

第一段階(始まり) 代表①前島密 人物 ②福沢諭吉

主張 ①幕末の慶応二年1866年)『漢字

御廃止之議』を提出した。

②分かりやすく文章を書いて、通俗一般に広く文明の新思想を得ると主張した。 結果 ①その反応が大きく、主に二派あ

る。反対論と仮名専用論・ローマ字論・漢字節減論などの漢字に代わって使用する文字についての論議。②諭吉の平易な文語文は言文一致運動の基本精神に連なるが、後に台頭する「普通文」の先駆になった。

挫折一つは身分制度の存在。 もう一つは文末表現などの原因で原因 言文一致体の文章がうまくいかな

いからである。

高楠

紅葉の試みは言文一致

体にとって決定打となった。

その後教育の世界も言

文一致に巻き込まれ、教科書を始め口語文を採用した。

新聞(大正一〇年1921

年)、公用文(昭和二〇1945年)も言文一致体を採用した。


本文来源:https://www.dywdw.cn/a53dd1c0d5bbfd0a795673fb.html

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